光と暮らしの記憶:海辺の朝と高原の夕暮れ
朝、目覚めてすぐに窓を開ける。 すると、朝日とともにやわらかな風が部屋に流れ込んでくる—— そんな日常の美しさを、私は以前住んでいた部屋で知った。
その部屋は海辺にあって、窓の向こうには水平線が広がっていた。 朝の光はまるでシャワーのように降り注ぎ、 カーテン越しでもまぶしいほどだった。
目覚めと同時に光に包まれる感覚は、 まるで一日が祝福されているようで、心が自然と整っていった。
けれど、海辺の暮らしには“明るさ”の余韻が夜まで続く。 夜になっても、月の光や街の灯りが反射して、 部屋の中はどこか落ち着かない明るさに包まれていた。
夕方から夜にかけて、もう少し照明を落として、 ゆっくりと心を沈める時間が欲しい—— そんなふうに感じることもあった。
光の感じ方や心地よさは、人それぞれ違う。 だからこそ、“ちょうどいい明るさ”を見つけるのは難しい。
それは、暮らしの中で少しずつ調整しながら、 自分のリズムに合った光を探していく旅のようなものだと思う。
高原の暮らしと、やわらかな時間
今は、海辺から離れて高原に暮らしている。
朝の光は以前よりも控えめで、 カーテンを開けても、やさしく部屋に差し込む程度。
あの煌めくような光のシャワーはもう浴びられないけれど、 その代わりに、夕方から夜にかけての“やわらかな時間”が手に入った。
照明を少し落とし、間接照明だけで過ごす夜。 音楽を流しながら、温かい飲み物を片手に本をめくる。
そんな時間が、今の暮らしにはしっくりと馴染んでいる。 光が静かに沈んでいくように、 自分の心もゆっくりと落ち着いていくのがわかる。
どちらが良いというわけではない。 海辺の朝も、高原の夜も、 それぞれに美しさがあり、心に残る風景がある。 ただ、今の自分にとって心地よいのは、 この“やわらかな時間”なのだと思う。
それでも、海が恋しくなるとき
とはいえ、時々ふいに海が恋しくなる。 あのまぶしい朝の光、潮の香り、波の音。 湘南の海辺を歩きたくなって、 江ノ島や鎌倉の名前が頭に浮かぶ。
江ノ島の灯台から見る夕暮れ、 鎌倉の小道に差し込む午後の光、 海辺のカフェで飲むコーヒーの味—— どれもが、心の奥に静かに残っていて、 ときどき“旅に出よう”という気持ちを呼び起こしてくれる。
高原の暮らしに満たされながらも、 海辺の記憶がそっと揺れる。 そんなふうに、心がふたつの風景を行き来するのも、 今の私にとっては自然なことなのかもしれない。
まとめ:光が教えてくれる、心の居場所
暮らしの中で、光はいつも静かに語りかけてくる。 まぶしい朝の光も、やわらかな夜の灯りも、 そのときの自分に必要な感情をそっと引き出してくれる。
だから私は、これからも光とともに暮らしていきたい。 その日その日の気分に合わせて、 カーテンを開けたり、照明を落としたりしながら、 自分の心にちょうどいい“明るさ”を探していこうと思う。
